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Your search : [ author:写真 歩鉄力] Total 3400 Search Results,Processed in 0.090 second(s)
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1. コンピューターで囲碁対局棋力はイマイチですが……
まずは上の写真を見て下さい。何台かのパソコンの前に人が腰かけていて、その間に碁盤が一面置いてあるのに、なぜかそこには人がいません。後ろで立って見ているいちばん左の人、中国囲碁界のナンバーワン·聶衛平さんの視線も、はっきりパソコンの方を向いています。そう、これは先ほど北京で行われた第六回国際コンピューター囲碁大会の一こまで、いま対戦しているのは、手前がポーランドのクラセク選手、碁盤の向こうが日本の吉
Author: 写真 歩鉄力 Year 1991 Issue 3 PDF HTML
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2. 長城飯店で「納涼 スイカ祭り」 北京市民の消費量 一夏50キロ
北京は十一月に入り、一歩一歩厳しい冬を迎えようとしている。この季節になると、思い出されるのが、猛暑のなかで口にした北京のスイカのうまさだ。北京の夏は長い。五月はすでに初夏。六月、七月、八月と連日暑い日が続き、九月中旬になってようやく秋の気配が感じられ涼しくなる。ことしの夏は、中国南部が建国以来最大の水害に見舞われ被害甚大だったが、北京は自然災害はなかったものの、例年と違って蒸し暑く、熱帯夜が続いて
Author: 写真 歩鉄力 Year 1991 Issue 11 PDF HTML
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3. 母子4人で出稼ぎ6年
私は汪文秀といいます。五十四歳です。家は安徽省の農村なんですが、一九八九年から北京に出稼ぎに来ています。夫は村営学校の教師で、給料がとても安いんですよ。それに長男が結婚することになりまして、その資金もいる。改革開放以来、私たちの村でも都会に出稼ぎに行く者が年々増える一方で、娘たちがウチも行こう、と言うんです。あの子らには都会へのあこがれもあったんでしょうが、畑仕事もあるし、八十過ぎたおばあちゃんも
Author: 写真·文 歩鉄力 Year 1995 Issue 7 PDF HTML
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4. 先祖と交わる原始の銅鼓
中国南西の辺境、雲南省の文山チワン族ミャオ族自治州は、長く交通が未発達で、訪れる人はほとんどいなかった。そのため、少数民族のいままで知られていなかった風俗習慣が幸運にも保存されていて、ため息が出るほどの民俗遺産の宝庫となっている。麻栗坡県新寨村と城寨村のイー族の支族である白倮(ルオ)人は、その典型的な一例だ。イー族は、中国で人口が比較的多い少数民族の一つで、歴史と地域環境などの要因によって、支族は
Author: 文·写真 歩鉄力 Year 2002 Issue 1 PDF HTML
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5. 北京市戒台寺の古いリラの木
今年の春、北京市の戒台寺公園が中国科学院植物研究所の専門家に頼んで、寺にある老木を調査してもらったところ、二十本ほどのリラ(ライラック)の木が樹齢二百年以上であることが分かった。戒台寺は北京の中心街から西に三五キロほど離れた馬鞍山にあり、一四〇〇年の歴史をもつ仏教の名刹である。初めの名は恵聚寺で、明代に万寿禅寺の名がつけられたが、ここには全国で最大の仏教戒壇があるので、一般には戒壇寺とか戒台寺の名
Author: 写真·歩鉄力 文·若虹 Year 1997 Issue 8 PDF HTML
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6. 瀋陽·蘇家屯の機関区に勢ぞろいしたSL群。“幻のパシナ”も化粧なおしされておめみえ
SL(蒸気機関車)ファンには願ってもない展覧会が、遼寧省は瀋陽·蘇家屯の機関区で開かれている。オールド·ファンなら、まず説明は不要、ひと目で分かる「パシナ」(パシフィック7)型蒸気機関車が、この展覧会の目玉。“幻の機関車”が、いま四十年ぶりに外国人旅行客にも“開放”されたのである。「パシナ」の“昔の名前”は「あじあ号」。日本の植民地経営の“尖兵”として「南満州鉄道」に投入された、当時、世界でも最新
Author: 写真 項毅 Year 1985 Issue 1 PDF HTML
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7. こっちの「烤鴨」もいけますよ。懐柔県に飛んだペキンダック。
豊かになった北京郊外の農民は、一度は扒鴨(カオヤ)をと、何十キロもバスにゆられて市内の有名店をめざす。ところが北京名物の扒鴨のこと、店は大入満員で、二、三時間行列して待っても、必ず食べられるとは限らない。それではと、去年の十月六日、市内から北へ四九キロの懐柔県に「懐興飯荘」という扒鴨専門店がオープンした。オーナーは県の服務公司。建物は地元の渡河大隊の農民建築隊が二カ月半で完成、フロアには二百人が座
Author: 写真 狄華 Year 1985 Issue 3 PDF HTML
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8. 六十周年を迎えた故宮博物院。“化粧直し”されて一層壮麗に
英訳では「禁断の都市」。そそり立つぶ厚い壁に囲まれた七十二万平方メートルの空間、間数九千の建築群。明·清王朝二十四人の皇帝の居城だった紫禁城が「故宮博物院」として一般に公開されたのは一九二五年十月十日のことだった。昨年の十月十日は、ちょうど「建院六十周年」にあたったため、建物の“化粧直し”がおこなわれるとともに、盛大な記念式典が開かれた。中国の歴史に関心のある方なら、「故宮博物院」が、台北にも設け
Author: 写真 王輝 Year 1986 Issue 1 PDF HTML
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9. かいがいしく看取る溥傑氏、亡き周総理の励ましを胸に。
溥傑氏、今年七十九歳。清朝最後の皇帝で、のち「満州国」皇帝になった溥儀の実弟である。日本人嵯峨浩さんと結婚したのは一九三七年四月のこと。「満州国」経営のために、「関東軍」がしくんだ政略結婚だった。傀儡政権は日本軍の敗北とともに崩れ、溥傑氏は戦犯としてシベリアの流刑地へ、嵯峨浩さんは母国日本へ。一九五〇年、撫順の戦犯管理所に移された溥傑氏が特赦によって釈放されたのは、六〇年十二月のことだった。翌年、
Author: 写真 羽佳 Year 1986 Issue 8 PDF HTML
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10. 中日間を結ぶ定期客船「鑑真」号
「鑑真」号は、1985年7月6日に就航してから、週に一往復、神戸―上海、上海―大阪間を通っている。写真は、上海·黄浦江をさかのぼる「鑑真」号船上から。
Author: 写真 王?晋 Year 1986 Issue 8 PDF HTML